愛美の想い

代表挨拶

表紙がぼろぼろになった、古びた一冊のノート。
私のエステティシャンとしての原点、それがこのノートです。
このノートは、私がエステティシャンになることに猛反対していた父からもらったものです。
エステティシャンを目指して必死に学んでいた頃のこと。
私はこのノートに目標や学んだこと、気付いたことを毎日書き続け、ことあるごとに読み返していました。
今でも私は、何か迷ったことや悩んだことがある時、困難にぶつかった時、このノートを読み返します。
そうすると、エステティシャンになったきっかけや、一所懸命学んでいた当時の気持ちを思いだし、困難に立ち向かうための気力を得ることができるのです。

三つの「8」がつく年齢

私のエステティシャン人生には、18歳、28歳、そして38歳の、三つの「8」がつく年齢が、とても大きな意味を持っています。
それぞれの歳に起こった出来事が、私がエステティシャンを目指すきっかけになり、多くの人の肌を良くしたいとの思いを強くし、そして私の向かうべき道を教えてくれました。
8という数字は、日本でも、私の故郷中国でも縁起のいい数字とされています。
縁起のいい数字がつく歳に、私の人生に大きく関わる出来事が何度も起こったことを、私はいつも不思議な気持ちで振り返ります。
そんな、三つの「8」がつく年齢に関する出来事を、ここでご紹介したいと思います。
どうぞ私の話に、しばらくお付き合いください。

エステティシャンを目指した「18歳」

18歳の時、私はエステティシャンになろうと決心しました。
そのきっかけは、私自身がニキビに悩んだことでした。
遡ること1年、17歳の頃のことです。
本当にある時、突然、私の顔中にひどいニキビが現れました。
17歳といえば、まだまだ若く、多感な時期です。
その当時の私は、こんな顔で人前に出るのが恥ずかしい、笑われてしまうと、本当に悩みました。
何をしていても肌が気になり、気分が落ち込み、部屋から出ることさえできなくなってしまいました。
自分に明るい未来なんてやって来ないと人生に絶望し、いっそこの世から消えてしまいたいとまで思い詰めたこともありました。
でもある時、私を悩ませていたニキビを、肌ケアで何とかできるかもしれないと知りました。
それから私は、毎日必死で肌ケアの方法を調べては試し、調べては試しを繰り返しました。
試行錯誤を続けること1年、ついに私はニキビのない肌を取り戻すことができました。
するとどうでしょう。
ニキビに悩んでいた頃の暗い気持ちが嘘のように晴れ、明るく前向きな自分になれました。
部屋の外に出るのだって、すっかり平気になりました。
この経験で、私は、肌の状態がいかに人の心に影響を与えるかを、身をもって体験しました。
肌のトラブルがどれほど人を悩ませ、落ち込ませ、時には性格さえ変わるほどの影響を与えてしまうのかを痛感しました。
一方で、肌のトラブルが解消すれば、心も癒され、輝きを取り戻せることも知りました。
私は思いました。
私と同じように肌のトラブルで悩む人たちの力になりたい。
肌を治して輝かせることで、心も明るく輝かせてあげたい。
その手段として、私はエステティシャンになることにしたのです。

自分のお店を持った「28歳」

エステティシャンになると決めた私は、中国の専門学校でエステの技術を学び始めました。
当時の中国では、エステティシャンはあまりいい職業だと思われていませんでした。
当然、両親からは猛反対されました。
でも、人の肌を良くすることを人生の目標に決めた私は、そのくらいでは諦めませんでした。
専門学校を卒業後しばらくしてから来日、日本のエステスクールに通い、本格的にエステの技術を学び始めました。
当時は、昼に学校に通い、夜は兄の経営していた中華料理店で働き、店が終われば自習をして、明け方になって倒れるように仮眠しました。
故郷から遠く離れた地で日本語も上手に話せない中、心に強い思いを抱き、懸命に学んだ日々でした。
そんな日々の中、私は、ひとつの目標を立てました。
それは、「28歳で自分のお店を持つ」こと。
明確な目標を立てることで、自分に甘えがなくなり、頑張れると考えたのです。
スクールを卒業し、私は、「絶対に世の中の人たちの肌の悩みを解決し、沢山の人の肌を綺麗にする」という思いを胸に、エステティシャンとして働き始めました。
毎日精一杯働くうちに、私を認め、信じ、私の目標を応援してくださる人たちが、少しずつ増えてきました。
そして28歳の時。
一所懸命に働いた甲斐あって、皆さんの応援も力になり、私は念願だった自分のお店を持つことができました。
目標をかなえることができたのです。
それが、この「LoveBeautySalon愛美」です。
お店を持って、目標を達成できたこと。
もちろんそれは嬉しかったのですが、それ以上に、私を応援してくださっていた皆さんが、自分のことのように喜んでくれたことが、何よりも嬉しかったことを、昨日のことのように覚えています。
喜んでくれる皆さんを見て、いつまでもこの人たちの肌を良くしていきたい、沢山の人の肌のトラブルを解決していきたいと、改めて心に誓ったのでした。

永遠に保てる肌年齢「38歳」

エステティシャンを志してから自分のお店を持つまでの10年、私は沢山の人の悩みを聞き、肌に触れ、トラブルを解消し肌を綺麗にしてきました。
その経験から、実感するようになったことがあります。
それは、「正しい知識と技術があれば、肌の若さは保つことができる」ということです。
そこで私は、「肌の若さを保つ研究をする」ことを、次の目標にしました。
今度は「肌の若さを保つ」ための知識と技術を身につけるために、猛勉強の日々です。
その成果は、オープン当初から通っていただいている多くのお客様に実感していただいております。
「40歳くらいのような肌だ」と褒められたと、とても嬉しそうに語る60代の女性もいらっしゃって、それを聞いて私も嬉しくなりました。
38歳の頃、それまで積み上げてきた知識と経験で実現した肌を若く保つ技術を、「永遠の38歳肌」と名付けました。
何故38歳?
どんなにエステの技術があっても、さすがに18歳の肌にはかないません。
28歳を実現するのも、ちょっと難しい。
48歳は、魅力を感じません。
このくらいがちょうどいい、そう感じたのが、正に「38歳」の自分の肌だったのです。
38歳の肌は魅力的に感じるし、私の技術であれば、何歳になってもこの状態を保つことができると。
それ以来、ご来店いただく年配のお客様の肌を「38歳」に保ち続け、喜んでいただいています。

「愛美」と私のこれから

私は、エステティシャンとして活動するだけでなく、今も「人をもっと美しく、輝かせる」ために学び続けています。
医学者でiPS細胞研究所所長の山中教授の論文からヒントを得て、幹細胞の研究もしました。
その成果は自社開発した、ヒト幹細胞コスメ「BIOERU」シリーズとして商品化しており、毎日の肌ケア用品としてご好評いただいています。
横浜のこのお店に続き、2017年には私の故郷、中国福建省にエステサロンを1店舗、2019年にも同じく福建省に美容クリニックを開店し、合計3店舗を構えるまでになりました。
私と「愛美」の、美を追究する姿勢は、これからも変わりません。
皆さんの肌をよりよく、より美しくしていくための探求の道は、まだまだ続きます。
それだけではありません。
私の身につけた技術、私の思いを、私だけで終わらせてしまうことはできません。
後に続く人たちに、私の技術や思いを引き継いでいく。
それも、これからの私がやるべき事だと考えています。
これからの日々の中、もしかしたら「8」のつく歳に、また新しい何かとの出会いが待っているかもしれません。
それを楽しみにしつつ、これまで私を応援してくださった方々、これから応援してくださる方々に感謝しながら、新しい知識や技術を身につけ、人に伝えていきたいと思っています。
迷った時には、私の原点の、このノートを読み返しながら。

さいごに

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
「愛美」は、肌に悩み、肌の悩みを改善することで人生が変わった私の、思いの結晶です。
あなたがもし、どこに行っても解決しなかった肌の悩みを抱えていらっしゃるのでしたら、是非私たち「愛美」にご連絡ください。
きっとあなたのお悩みを解決し、人生を変えるお手伝いができるはずです。
お問い合わせ、ご予約を心からお待ち申し上げております。